法話
願いに生かされ生きる 「他力本願」とは 浄土真宗において大切にされている言葉に「他力本願」と言う言葉があります。世間的には「人任せ」というようなイメージのある言葉ですが、そうではありません。「他力」とは、阿弥陀さまのおはたらき、「本願」とは阿弥陀さまの私に向けられた願いです。私の人生は、阿弥陀さまの願いとはたらきに支えられているんだということを表す言葉が、他力本願なのです。願いに支えられているということを知ることは大切なことです。 生後3ヶ月の子どもを拾ったハイチのジミーさん カリブ海にハイチという国があります。留学先のアメリカからハイチに年末帰省していたジミーさん(22)。年越しパーティに向かう道中、ゴミ山の中に捨てられた生後3ヶ月の子どもを拾います。警察に届出はしたものの、母親と名乗り出る人はいませんでした。判事からの勧めもあり、この子の後見人となっていきます。もちろん留学中ですから、母親に子どもの世話を任せ、アメリカの学校に通いながらバイトし、仕送りを実家に送っていきます。 そんな中で、「正式にこの子の親になりたい」と養子縁組を進めていくのですが、高い壁がありました。養子縁組をするにあたって、かかる手続き費用が約4万ドル(約550万円)以上というのです。しかし、ジミーさんは諦めませんでした。「自分にとっては今一番大事なのは自分の夢よりもこの子の親になることだ」と意を決し、学校を休学して仕事に専念。手続き費用を捻出することにしたのです。その仕事と、募金サイトを通した寄付によって、現在は養子縁組の手続きを進めているところです。 ジミーさんはこ子をエミリオ・ジュルマイヤ君と名づけました。そして言います。「あの子を幸せにしてやりたい。愛することを教えてあげたい。たとえ1人置き去りにされていたとしても、今はひとりじゃないんだと知ってほしい」と。そんな願いをもったジミーさんは自分のことを後にしてでも、エミリオ君の為に想いをかけ、はたらきつづけました。そんなジミーさんの願いと努力の中に育まれているということは、エミリオ君にきっと届き、彼の人生を支えていくのでしょう。 誰しもかわいい阿弥陀さまの子ども 人は生まれた時にはどんな人も純真無垢な心でこの世に生を受けます。しかし、その後どんな人に、どんな出来事に出会うかによって心持ちが変わっていきます。暴力に出会えば、心は恐怖や不安が支配します。愛情に出会えば、安心と安らぎに心が染まります。今の時代、育児放棄や家庭内暴力によって愛情を充分に感じられないまま育っていく子たちもいます。そんな時代だからこそ、一層この阿弥陀さまの願いを「あなたも可愛い阿弥陀さまの一人子だよ」というメッセージを伝え続ける意味があるのだと思います。浄土真宗という宗派が成立して来年で800年(立教開宗800年)を迎えますが、この歴史は、阿弥陀さまの願いを喜んできた人たちの歴史なのです。
( 福岡県行橋市 両徳寺住職 舟川 智也 師 / 築地新報・法話より転載 )