西本願寺書院

法話


愚者になりて


「自分は強い人間だ」と思っていた

スポーツの世界大会を観戦していると、アスリートが手を合わせるなど、その方の信仰や宗教を感じとれる場面があります。親元を離れたばかりの頃、その場面を見る度に「神仏に頼らず自分を信じればいい。宗教なんて心の弱い人がする事だ」とモヤモヤした気持ちになっていました。当時の私は、自分は強い人間だと思っていたからです。そんな私も、うまくいかない事が続くと「私なんて誰からも必要とされない価値のない人間なんだ・・・・・」と孤独に苛まれました。そんな時は必ず実家に帰ります。父に会う為です。


「今から帰る」とメールをすると、父は必ず駅まで迎えに来てくれました。「駅に○時に着くから迎えに来て」と頼むわけではなく、ただ「今から帰る」と言うだけで父はいつも同じ場所に車を停めて待っていてくれるのです。私はそれだけで満足でした。周りから認められなくても、いつも変わず待っていてくれる父の姿を見つけるとそれだけで、またがんばろうと元気になれました。


そんな父が急な病で亡くなった時に、初めて本当の自分にであうことになります。父は六十歳で仕事を引退して仏教を学ぶと、第二の人生を歩み始めました。その矢先、体調を崩して入院することになりました。入院したその日の夜、病院から一本の電話が入ります。それは、父に他の病気が見つかり、その病は深刻な状態にあり、父の命は明日の保証もないという衝撃的な内容でした。 父がいなくなる。真っ暗闇に突き落とされるような今まで味わった事のない恐怖に襲われました。「自分を信じればいい」と言っていた強い私なんて何処にもいません。それどころか、父のいない世界に生きる自分を想像すら出来ませんでした。そして入院からわずか二十日程で父は旅立ってしまいました。



父の死で出会った正信偈のメッセージ


 その日から日常ががらりと変化しました。変化の一つに、毎日正信偈を読むようになった事があり
ます。父の死以降、言葉数の減った母が唯一、一日に一度だけ「お勤めをしよう」と話しかけてくるのです。その母に応えたい気持ちだけで、お勤めをしていました。そのうちに解った事があります。正信偈にはたくさんのメッセージが詰まっていたのです。 “摂取心光常照我”。私に最初に届いたお言葉です。私は、暗闇に落ちてはいなかったのです。

阿弥陀仏の光明はいつも私たちを照らし摂め取っていて下さるのだと知り、父に会えたようなぬく
もりを感じました。そして、父が学ぼうとしていた仏教を私が学んでみたいと思うようになり、今に至ります。

当時を思い出す時、必ず頭に浮かぶ言葉があります。それは、親鸞聖人が師である法然聖人からい
ただかれた「浄土宗のひとは、愚者になりて往生す」というお言葉です。私は、父の愛情に甘えていただけでした。父を失った私は、自分の生き方すらを見失う程に弱く儚いものでした。しかしその姿こそ、本当の私の姿でした。本当の自分に出会って初めて、一人で強く生きていたのではなく、父に支えられて生きていたのだと知りました。レースの前に手を合わすアスリートの気持ちも、少しだけ分かった気がします。あの姿は神仏に逃げていたのではなく、自分ではどうしようもない不安や緊張と戦う姿、自分と向き合う姿に見えるようになりました。

自分は強いと勘違いして生きていた私は、宗教なんて必要ないと思っていました。しかし、弱さ
儚さ愚かさを抱えてしか生きられない自分と知らされた今、私には照らし摂め取っていて下さるお念仏が必要です。そして、一人では生きていけない私、わたしたちと知らされたからこその新たな 生き方ともであえました。

次に「今から帰る」と父に告げるその時まで、仏教に学び、弱さを認める強さをお念仏にいただきながら、新たな年も御同行と共にあゆませていただきたく思います。

 


浄土真宗本願寺派 布教使 /  美馬 ひろみ 師 / 築地新報・法話より転載 )

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