西本願寺書院

法話


そうか、そうだったんだ



 「 そうか、そうだったんだ!」
わからなかった事がわかった時はとても嬉しい気持ちになります。

 北インドのべレナス近く、サールナートはお釈迦さまが初めてお説教をされた町です。そこに初めてのお説教のお姿 「 初転法輪像 」 があります。このお像の手の形、印相は 「 説法印 」 と言って、人差し指と親指をつけて丸くした両手を胸の前で合わせています。

 その時の現地ガイドが 「 これは紐をほどく時の指の格好です。今までしまってあった仏教の紐をほどいて中を開きみんなに伝える格好です 」 と教えてくれました。「 そうか、そういうことか!」とても嬉しい気持ちになりました。

 私が以前 「 浄土真宗は信心するのではなく、ご信心をいただくと言います 」 という言葉に出あったときも、「 そうか、そういうことか 」 という思いでとても嬉しかった事を覚えています。何か頭の中の電球がパッと点いたような感じでした。

 「 信心する 」 とは仏や上が自分に何かをしてくれる事を期待することで、自分が変わる事ではありません。「 ご信心をいただく 」 とは阿弥陀さまから 「 信心 」 をいただくことです。ご信心をいただくと自分が変わっていきます。今までわからなかったことがわかるようになり、気が付かなかったことに気が付くようになり、耳に入らなかったことが耳に入るようになり、他人事だったことが我が身のことと考えられるようになります。これが阿弥陀さまのお育てにあったということでしょう。

 阿弥陀さまはいつも私達を整えるためにお働きです。そのお働きに気付かせていただいたとき 「 南無阿弥陀仏 」 のお念仏が出て下さいます。お念仏が出て下さった時はもうすでに阿弥陀さまの御手の中の事なのです。

 親鸞聖人のお言葉が 『 歎異抄 』 に 「 弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり 」 とあります。またある和上は 「 ああから(辛)と いうはあと(後)なり とうがらし(唐辛子)」 と仰いました。これもまた有り難いお言葉でした。


( 正法寺住職 白川 淳敬師 / 築地本願寺新報5月号(法味春秋)より転載 )
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